こんにちは松尾です。しばらくライトハウスといったハンドルネームで書かせてもらっていましたがこれからは実名で、今までと違ったブログを書いていこうと思います。
ブログって主観的に書くものだと思いますが、社会と自分や他者に対してもっと伝えていこうと思い、尚且つ見てくれている人が飽きないようにしたいと思います。
今までは自分の葛藤を書いている際にも、深く深くと頭で考え一度書いた感覚をさらに疑って本当の自分自身を書こうと思っていました。だから自分で読み返すと面白く、自分自身の魅力も見えやすかったです。ただ人が見た時には様々なタイミングがあり、受け入れにくい方が多いと思います。現に観覧数が減っているとか・・・・・。しかも勝手な葛藤で更新もまちまちでしたね、これからは頻度も上げていこうかと思っています。そして書き手も読み手も増えてくれればと思います。
そんな形で再スタートをきりますのでよろしくお願いします。
今年でマツオも29歳になりますが、今から5~6年ほど前にインドに行ったことがあります。私は当時、服飾の専門学校を出ていましたが、会社という中に入るのがどうも気になり就職せずにバイトをしながら自分は何をしたいのか模索していました。
ファッションの勉強をしていくうちに建築といったことにも興味を持っていました。ある雑誌でル・コルビジェという建築家を知りました。写真でそれを見たときに単純に好きだという感覚とすごい力強さを感じました。よくよく見るとそれはインドにあり、コルビジェはインドの都市計画などにも携わっており多くの建築物があることがわかりました。学生の時よりも自由な時間をもっていましたので海外にも行きたいと思っていましたのでいいタイミングでした。
インドには友達と2人で行きました。私は2度目の海外で(この半年前にドイツへ)英語より気持で伝えるコミュニケーションを主としていました。
私は1週間程しか居られませんでしたが(友達は1ヵ月程行ってました)その間、コルビジェの建築を求めて山あり谷あり歩いて進みました。進むにあたって車を運転手つきで借りなければならなくなり、その運転手に次々に怪しい場所へ連れて行かれ、暇さえあれば何かを売りつけられ、何も買わなければ文句を言われ、しまいには置いて行くぞと脅され、それに私はブチ切れて怒鳴り、何も買わないならチップは弾むんだろうなとチップをせがむ相手を睨みつけて車中でよく喧嘩してました。
インドの旅のしおりには「腹を立ててばかりだと旅が面白くなくなるので、寛容に」といったアドバイスもあり、覚えてもいましたが、残念なことに寛容さを持ち合わせていなかった当時の私は全身で受けて全身で返す事しかできませんでした。
コルビュジェの「開かれた手」というオブジェがあるのですが、私はこれが好きで、最初にコルビュジェを雑誌で見たときには建物よりも開かれた手に影響されました。その開かれた手を遠くから発見し、次第に大きさを増すそれを見た時には気の緩みからかお漏らししてしまったほどです(ひどい下痢をしていました。汚い話で申し訳ないです)開かれた手は高等裁判所にあり、それもコルビュジェが造っています。高等裁判所は力強く、カラフルな大きい色は、私を癒し受け入れてくれました。
コルビュジェは開かれた手を「人々を引き裂き、しばしば敵をつくってしまう苦痛や苦悶、対立の感情から引き起こされたさまざまなイメージや精神的葛藤の結果だ」と説明をしています。
その後も私たちは都市計画された場所にも行きましたし、多くのコルビュジェの建築を見ることができましたが、インドは本当に力強く、どの建築もその地からゴゴゴゴーと音を立てて生まれて来てかのようでした。
私は旅の不安やインドの人たちの力強さから、日本での甘えた自分に罪悪感を覚えて、毎日葛藤せざるおえませんでした。ただ葛藤をする意味も見出せていなかった自分は、自分は何にもならないという自己嫌悪をもち自分自身の弱さを実感しただけでした。日本に帰る日の空港へ向かう駅では感情があふれ涙を流していました。自然と出てくる涙の意味が分からず、頭では解釈が出来ない抽象的な感覚を受けていました。
今思うと「人々を引き裂き、しばしば敵をつくってしまう苦痛や苦悶、対立の感情から引き起こされたさまざまなイメージや精神的葛藤の結果だ」というコルビュジェの言葉はその後の自分自身を表し、このインドの旅はそれを始めるきっかけになっていたのだと思います。日本帰ってから、あの時の涙は挫折をした時の感覚と同じだったことに気がつきました。
相手を想う時には、どんな相手かを選ぶ必要もありません、ただ分ろうとする感覚が想いとなることは確かです。ああだこうだという言葉はツールにしかならず、[わからない]というところに相手は眠っているんだと思います。不安や弱さは大切な感覚だと思います。その上にしか強さは成り立たず、弱さを否定しても強くはなれません。弱い自分を選んでまで現実と向き合うことは大変なことですが、頑張らなければ見えない確かなものが詰まっていると思います。苦悩とはそういったもんだと思います。
ライトハウス(まつお)